先日、まちづくりで注目される徳島県神山町に行って来ました。
アーティスト・イン・レジデンスやサテライトオフィスなど様々な取り組みがなされ、移住者が増えている神山町。メディアで目にすることも多く、行ってみたい場所の一つでした。
現地では視察のほか、神山プロジェクトの仕掛け人の一人であり、NPO法人グリーンバレー理事長である大南信也さんのお話もご厚意で聞くことができました。
この視察でまちづくりに関する色々なヒントを得ることができました。得られたものが多すぎて、まとめるのに時間がかかり、ブログの更新も滞ってしまうほど(←言い訳)
色々書きたいことはあるんですが、今回は神山町の25年に及ぶ持続的なまちづくりのプロセスをそれぞれの取り組みの関連性も踏まえながら考察していきたいと思います。
持続的なまちづくりの5つのステップ(神山町)
- Step1.
小さな成功体験を共有することで、継続的に活動していくまちづくりの主体が形成される。 - Step2.
町外の人と地元の人が交流する機会を設け、サポート体制を整え、移住希望者に可能性を感じてもらう。
Step1で形成された主体が継続的に活動を支える。 - Step3.
Step2から作られ続ける空気が、移住希望者を増やす。
移住者のターゲットを定め、住民自身が選んでいく。 - Step4.
Step3で集まった人材を生かし移住希望者の人材育成を行い、開業や雇用のサイクルを生む。 - Step5.
Step3,Step4でできた店舗を生かし、地域内での経済循環を生む。
ビジョンを定め、一つ一つの取り組みで得た資源を生かしながら事業を進めていくことが重要。
徳島県北東部に位置する、人口5000人ほど(2017年5月現在)の中山間部の町。1998年にグリーンバレーの前身となる「国際文化村委員会」が設立され、さまざまなまちづくり事業が始められる。その後2008年にNPO法人グリーンバレーが設立し、ワークインレジデンスなど移住促進事業を本格化。2010年にITベンチャーのサテライトオフィスができるとメデイアにも大きく取り上げられ、先進的なまちづくりの町として注目を集める。その一連の取り組みは「神山プロジェクト」と呼ばれ、仕掛け人である大南さんをはじめとしたメンバーには全国からまちづくりの講演依頼が絶えない。
目次
持続的なまちをつくるための5つのステップ
Step1.小さな成功体験を共有する
神山プロジェクトが始まるきっかけは、一体の人形でした。1920年代後半、世界情勢が不安定な中、アメリカから日本に友好の証として贈られた多くの人形たち。偶然、そのうちの一体を神山町の小学校で見かけた大南さん。「この人形をアメリカに里帰りさせたら面白いんじゃないか」ということで仲間達と「アリスの里帰り推進委員会」を設立。無事、人形の里帰りを実現した大南さん達は現地で想像以上の歓迎を受けました。
【徳島県神山町】「枠組みのない町」を創る- グリーンバレー大南信也 –|灯台もと暮らし
http://motokurashi.com/feature-tokushima-oominami/20150806より引用
大南さんも言うように、「アリスの里帰り推進委員会」がメンバーのまちづくりの原体験となり、その後、取り組みの軸となるコアメンバーになっていきました。
ここで重要なのはやりたいことをやりたい人でやること。
地域おこしやまちづくりの話になると、どうしても地域のために何をするかという視点に立ってしまがち。最初は「やらなければいけないこと」ではなく「やりたいこと」から手をつけていきます。
そのため、活動に共感できない人を無理に巻き込もうとせず、やりたい人でやっていくことも大事。そのメンバーがその後の活動を継続していくメンバーになっていきます。
大南さんと一緒に活動を進めて来た初期のメンバーである岩丸さんはこんなことを言っています。
「ある意思を持った人が5人いれば町は変わる」
今ではまちづくりで注目され移住者も増えている神山町ですが、できることから少しずつ積み重ねていった神山プロジェクトをよく表している言葉だと思います。
やりたいという思いが活動を継続、その質を向上させ、何らかの成果を生み出す。それによりメンバーに少しずつ自信がつき、新たな挑戦に向かっていく流れがこの段階で作られました。
Step2.可能性を感じられる環境を作る
アリスの里帰りを実現した大南さん達はそこでできた国際交流の流れを続けていこうと、ALT(学校での外国語指導助手)の民泊などの事業を進めていきます。その後、県の「とくしま国際文化村プロジェクト」ともタイミングが合い、アーティスト・イン・レジデンスといった事業に展開していきました。
Wikipediaより引用
この段階から少しずつ「この町をどうしていくか」という視点が加わり始めます。この時意識していたのは、神山を観光地としてではなく、ビジネスの場として価値を上げることだったそう。
ではビジネスの場としての価値とは何なのか。アーティスト・イン・レジデンスの際はアーティストの滞在満足度を上昇させることを意識したそうです。アーティスト1人につき住民2~3人がサポートし、制作面を手伝う父親役と、生活面の支援をする母親役に分かれて滞在中の世話をするという体制です。
アーティスト・イン・レジデンスの招聘アーティストであるニック・クリステンセンさんはこんな感想を残しています。
「自分が思った以上に町の人たちが僕をサポートしてくれた。それも、KAIR(神山アーティスト・イン・レジデンス)の関係者だけでなく、全然関係ない町の人まで。いい意味で想像を裏切られたよ。」
神山町のビジネスの場としての価値をぼくなりに解釈すると「この地域で何かできそうな可能性」ではないかと思います。
この視察中に感じたのは移住者の人たちが地元の人たちに寄せる信頼。夕食に行ったカフェの方も「何かをやろうとするとみんな応援してくれたり、サポートしてくれたりする」とおっしゃっていました。
神山町の方と話してみて、移住者が求めているものはその地域にあるモノではなく、やりたいことができる可能性だと実感しました。
そしてその空気を作っている神山の人たち。もちろんこのような空気も一朝一夕でできたものではありません。アドプト・プログラムという道路清掃ボランティアにより自治意識を喚起したり、移住者や観光客と地元の人が交流するためのハブとなるような場を設け、お互いの理解を深めたりといった活動を続けたからこその現在ではないかと感じました。
Step3.移住をデザインする
神山町に移住を希望をする声も少しずつ増え始めます。それまでの実績とノウハウが認められ、2008年からグリーンバレーが神山町の移住交流支援センター事業を請け負うことになりました。そこで始まったのが「ワーク・イン・レジデンス」。手に職を持っているクリエイター(職人)を移住のターゲットとし、住民自身が移住者を選び、空き家に住んでもらうという取り組みです。
ちなみに、このプログラムを始めて最初の移住者はパン職人の方でした。
ここで他の地域と大きく異なっているのは、①すでに事業を始めている、またはスキルがある移住者をターゲットとし、②住民自身(グリーンバレー)が移住者を選んでいるということ。
①は移住者の定着率に関わってきます。
以前の記事で移住に必要な要素として「居・職・住」を挙げましたが、神山町ではアーティスト・イン・レジデンスをはじめとした取り組みから「居(コミュニティ)」については、移住者を受け入れやすい空気が整いつつあったと思います。またワーク・イン・レジデンスで「住(住む場所)」として空き家を用意することから、あと必要なのは「職(仕事)」。それを移住者自身が持っていることにより、定住がより進みやすくなると考えます。
②は自分達で今後のまちの方向性を考えることにつながります。
移住者を選ぶためには、まちの状況を考え、どんなまちにしたいか、そのためにどんな人に来てもらいたいかという「ねらい」を考えなければなりません。ねらいがあることによって、移住に対して評価ができ、その後の試行錯誤によるノウハウの蓄積にもつながります。
グリーンバレーの考える方向性は「創造的過疎」。創造的過疎には「人口構造の健全化」と「多様な働き方」という二つの方針があります。そのため移住者を選ぶとき、若者であることのほかに「神山町にないものをもたらしてくれる人」という基準でも検討されています。
Step2では、ビジネスの場としての価値の上昇が図られましたが、ここでは様々なクリエイターが集うことにより暮らしの多様性が生まれ、暮らしの場としての価値の上昇にもつながっています。
またここで忘れてはならないのが、移住者に貸し出す空き家の調整。
これには地元に信頼されている人や行政の協力が欠かせません。グリーンバレーではコアメンバーの中に地元に信頼のある人が調整を担ってくれたため事業を進めることができましたが、この部分でうまく連携できず空き家の活用が進められない地域も多いのではないでしょうか。調整という部分であまり表には出てこないプロセスですが、ここが一つ大きなポイントになっていると思います。
ワーク・イン・レジデンスを始めてから2年後、神山にはサテライトオフィスができました。こちらも職を持っている移住者と呼べるかもしれません。サテライトオフィスのいくつかは地元に雇用を生んでいます。さらにはサテライトオフィスで働いていた人達の中から、実際に神山町に移住する人たちも増えてきているそうです。
Wikipediaより引用
Step4.移住のすそ野を広げる
神山町ではワーク・イン・レジデンスやサテライトオフィスを通じて集まった人材を生かし、神山塾という人材育成のプログラムを行なっています。2017年10月現在、約100人の卒業生がおり、その約半数が神山町に移住を決め、開業をしたり、サテライトオフィスに就職したりしています。
神山塾の人材育成は「移住のすそ野を広げる」事業になっていると考えます。
「居・職・住」の「職(仕事やそれにつながるスキル)」を持っていないけれど移住を希望する人に、一定期間その地での暮らしや技術習得を支援し、「職」となるものを見つけてもらう。そこで定住し経験を積んだ事業者となった人たちが、今度は移住者の雇用の場となったり、教える側に回ったりする。Step3のワークインレジデンスやサテライトオフィスと人材育成が結びつくことにより、そんな地域の「職」の循環が回り始めています。
Step5.地域で循環する仕組みを作る
Step4までの取り組みで神山町には移住者が魅力に感じる場が作られ、それにともない移住の受け入れ体制も整いつつあります。多くの地域振興策ではこの「移住者の増加」がゴールとして設定されていますが、神山町はそこから一歩進んでいます。それは地域内の経済循環の実践。株式会社フードハブ・プロジェクトという企業を中心に、農業を起点とした経済の循環が始まっています。
従来の地域振興策では、地域の産品をブランド化し、それを都市部に売り出すことで地域に利益を生み出そうと考えられていました。しかし、神山町に定食屋やフレンチビストロ、パン屋、ピザ屋など今までになかった料理を提供できる店が現れたことにより、新たな客層も増え、地元産品を地域で使う流れが生まれてきています。食材は調理され料理となるプロセスがもっとも付加価値が高い(利益がある)と言われているため、それを地域内で循環させることにより、ブランド品として都市に出すよりも大きな経済効果を地域にもたらそうとしています。
まとめ
ここまでの神山町のステップをまとめて見ると次のようになります。
- Step1.
小さな成功体験を共有することで、継続的に活動していくまちづくりの主体が形成される。 - Step2.
町外の人と地元の人が交流する機会を設け、サポート体制を整え、移住希望者に可能性を感じてもらう。
Step1で形成された主体が継続的に活動を支える。 - Step3.
Step2から作られ続ける空気が、移住希望者を増やす。
移住者のターゲットを定め、住民自身が選んでいく。 - Step4.
Step3で集まった人材を生かし移住希望者の人材育成を行い、開業や雇用のサイクルを生む。 - Step5.
Step3,Step4でできた店舗を生かし、地域内での経済循環を生む。
ちなみに移住の土壌を作るStep1から3の間は17年、 移住のしくみを作るStep3と5の間は8年かかっています。
神山町に学ぶべきところは、それぞれの取り組みがちゃんと積み重なっているところ。神山町ではStep2の時期から長期的なビジョンでまちづくりを捉え、地元の人にも移住者にも魅力に思える地域を地道に作っていきました。その上に一つ一つの取り組みで得た資源を生かしながら、移住の仕組みを作っていっています。
一般に地域振興策というと単発のイベントが実施されていることが多いですが、そこには長期的視点が欠け、次に積み重なって行く姿がありません。
ぼく自身そんなスパイラルに入り、どんな企画をしていけばいいのかと途方に暮れたこともあります。そんな中、今回神山町に視察に行った意味は大きく、一つの道筋を示してもらったような感覚です。
道筋といっても、もちろん神山町の成功事例を真似してアーティストインレジデンスやサテライトオフィスをすればいいという簡単なものではありません。必要なのは神山町の事例を解きほぐし、「なぜそうなったか」を掴み、自分たちのまちに生かしていくこと。
「神山の前には神山はない」という言葉があるそうです。
これは神山町がどこの地域の真似もせず、地域と向き合いながら独自のプロジェクトを進めてきたことを意味した言葉。ついつい他地域の成功事例を取り入れがちになってしまいますが、自分の地域と向き合いつつ「楽しみながら」その地域に合う企画をしていけたらいいですね。